若き日のイチローを励ました曙の名言!一流選手の交流!


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「やりすぎ都市伝説」にてあの日本を代表するスポーツ選手である、イチロー選手と相撲界の横綱に関する都市伝説が紹介されていました。

意外にも相撲界の横綱が、今の大リーガーイチローを運だという興味深いお話です。

 

 

 

 

 

 

 

昔から大の相撲ファンの西田さんは角界の方にお世話になることが多く、いろんな話を聞くそうです。

大相撲というのは番付というものですべの優劣が決まるものですが、その中でも際立って下の者の面倒見がいい力士がいるそうです。

それが、第64代横綱の曙さん。

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曙さんはハワイから日本にやってきた力士ですが、その豪快な取り口で外国人初の横綱になったことで大きな話題になりました。

現役当時からその面倒見の良さは有名だったようで、曙さんほど下の力士や若い衆の面倒を見たり、気遣いのできる優しい男は珍しいと言われていました。

同期の元大関である魁皇と飲みに行った際には、泥酔してしまった魁皇が道路の交通標識を曲げて力自慢をしたところ、曙さんはその標識を再びぐにゃりと曲げて、元に戻したという言う話も残っています。

これは面倒見がいいからなのか・・・?笑

 

 

そんな優しい曙さんが来日して4年後の1991年春のこと。

ちょうど3月場所が終わった時期。この年の3月場所は曙さんが小結に昇格した初場所であり、先代の貴乃花さんが持つデビュー以来の連勝勝ち越し記録を塗り替えることに成功したという曙さんにとって少々特別なものでした。

そのため、様々なお祝いを兼ねて温泉に赴いていました。

しかし到着した矢先、温泉の玄関先で落ち込んだ様子のボーズ頭の少年が目につきました。

面倒見のいい曙さんは、その少年に声をかけました。

「どうしたの?」

少年は自分がスクイズを失敗してしまったせいで、高校野球の試合で敗北してしまったことを告げました。

すると曙さんは

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と少年を励ましました。

この言葉は、自分の渾身の力を出したつもりなのにどうしても勝てない、悔しい、という思いを重ねてどんどんと成長していく力士の姿を表現したものです。負けるのを恐れていては強くなりませんし、失敗を恐れていてもしかり。どうして失敗したのかを悩んで悩んでその先に勝利が待っているのです。

相撲だけではなく、どんな業界、どんな世界にだって共通して当てはまるものです。

 

この言葉を聞いた少年は

「ありがとうございました。元気が出ました。」

と言って帰っていきました。

 

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それから数年後、横綱となった曙は場所中にある人物とばったり出会いました。

曙さんは

「初めまして。」

と挨拶すると、

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とお礼を言われました。

 

その選手というのが、当時のシーズン最多安打記録を塗り替えた若き日のイチロー選手だったのです。

あの日、曙さんが声をかけたのは当時愛工大明電高校3年の鈴木一郎君だったのです。

イチロー選手は後に

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と曙さんの言葉を匂わせるような名言も残しているのです。

 

曙さんはアメリカから日本に来日して相撲というスポーツを極めました。

イチロー選手は日本からアメリカへ渡米し、野球いうスポーツを極めました。

アメリからやってきた曙さんの言葉がなかったら、日本だけではなく世界の頂点の選手として尊敬と賞賛を集めるイチロー選手は誕生しなかったのかもしれません。

信じるか信じないかは、あなた次第。

 

 

ちなみに、曙選手の名言には以下のようなものがあります。

「“やりたいこと”があるなら、やらなければ後悔する」

これは曙さんが、相撲界からk-1に転身されたときの言葉。かなりセンセーショナルな出来事でしたよね。あの決断はすごい。

「終わってみると、人が綱を選ぶんじゃなくて、綱が人を選ぶんです 」

 

「横綱になるのは難しいが、務めるのはそれ以上に大変だった 」

 

「相撲は単なるスポーツじゃなく、ライフスタイル、ひとつの生き方なんです。だから、横綱は1日24時間、いつも綱を張っていなくちゃならない 」

 

なかなか素敵な言葉を残しています。

 

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