ハウルの動く城が理解不能になった理由と真相!原作との相違点!


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ハウルの動く城

「ハウルの動く城」は非常に難解な物語。

ただ単に「見る」という姿勢で物語と向き合ってしまうと、全く何を言いたいのかが良くわからない作品です。

なぜ、そんなにも難解な作品になってしまったのか・・・今回はそうした面について紹介していきます。

 

 

あらすじ

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原作

「ハウルの動く城」の原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズ著「魔法使いハウルと火の悪魔」であるとされています。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ氏は牛乳アレルギーを発症した自身の体験から、外見が老婆になってしまう少女のストーリを思い付き、この作品を描いたと言われています。

原作との相違点

上記のような原作は存在します。ジブリ作品にとって、こうした一つの明確な作品が原作となっており、大方の設定や物語を原作に沿って行っているというのは結構珍しいことなのですが、やはり映画化するにあたりオリジナル性は多大に含まれています。

相違点をいくつか上げると

  • 原作では戦争に対する描写はない
  • 映画ではハウルは鳥人間であるが、原作では猫人間
  • 原作ではソフィーが魔法を使える
  • 城が動く意味が映画と原作では異なる

などが上げられます。

 

原作では戦争に対する描写はない

原作では、ハウルと荒地の魔女の戦いが主なものであり、「戦争」による戦いはありません。しかし映画「ハウルの動く城」で戦争を扱うことに対しては原作の著者ジョーンズは以下のように語っています。

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宮崎監督が戦火の中の恋を描きたいということを鈴木プロデューサーに言ったということも記録にあります。

 

 

映画ではハウルは鳥人間であるが、原作では猫人間

こうした変化は戦争のさなかに物語の舞台を置くということで変化していったものと考えられます。

 

 

原作ではソフィーが魔法を使える

これに関してはこちらの記事を参照いただくとわかると思います。

 

実はソフィーには「生命を吹き込む」という不思議な力を使うことが出来るのです。

しかし、映画ではその補足説明のようなものが一切ない為、「魔法を使用した」ということが視聴者にわかりづらくなってしまっています。

 

 

城が動く意味が映画と原作では異なる

原作では、城が動く理由はハウルが振った女性やその親などが乗り込んでくるからとされています。映画ではそのような理由も匂わせるのですが、戦争に伴って荒地の魔女やサリマンから逃げているというのが主です。

こうした相違点などは、当然原作の著者であるジョーンズ氏と宮崎監督の描きたいものが微妙に違うために行なわれた脚色です。それは以下のインタビューを見ても分かると思います。

 

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こうした脚色による相違点が、「ハウルの動く城」を見るものに大きな難解な点を生むことになります。

 

 

曖昧さ

ジブリ作品における「曖昧さ」、「余白」というのはどの作品においても与えられています。それはジブリ作品の大きな魅力であり、見る側が考えることができるために人によって作品を見た感想が大きく異なったりします。

公式な裏設定では「もののけ姫」のコダマが「となりのトトロ」のトトロへ変化していくというものなどあります。笑

これって、時代の前後的に「もしかしたら、そうなのかも」、「そうだったら面白いな」なって視聴者が思うことですよね。でもそんなことを作品中でわざわざ解説を入れた入りはしないし、公の場であえてそういう設定であるということを製作陣が言ったりもしない。

そうした奥深さがジブリ作品にはあります。

 

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その「曖昧さ」が非常に色濃く出たのが「ハウルの動く城」であると私は思います。

 

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このインタビューからもわかりますよね。全部省いちゃったんです。笑

だから、上記に記載しましたがソフィーの魔法は原作では解説があるのに、映画ではわざわざ解説はしていません。おそらく魔法は使っているんです。しかし、それはあくまでも視聴者一人一人が感じるものとしてなげているのです。

その部分が多すぎる作品なのですね。そのため、想像を膨らませずに作品をただそのまま受け止めると全く理解ができないことの連鎖が起こり、置いてけぼりになってしまうのです。

そうした面について、宮崎監督自身も以下のように語っています。

 

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作品に対する説明は他の記事で紹介していますので、理解を深めたいと思う方はご覧ください。

こうした背景をきちんと理解すると、ソフィーが過去にいってしまい、ハウルとカルシファーの契約のシーンを見て、再び現在へと帰ってくる際にハウルに言った言葉である

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というセリフの重さに気づくのです。そうして少女の姿に完全に戻ったソフィーがカルシファーとハウルに命を吹き込んでいきます。最期のシーンに向けてソフィーがキスをしていったものが変化していく様子も合点がいくし、細かい描写にも繊細な心遣いが伺える部分が多々あります。

 

要するに、「ハウルの動く城」ではジブリ作品特有の曖昧さが大きく出てしまった作品であり、宮崎監督自身も最終的に納得して制作していながら、それについて途中で迷子になるくらいわからなくなってしまった節もあるために、非常に難解になってしまったということですね。

しかしそれは逆に見れば見る程面白味に気づく作品でもあります。

皆さんも見直してみてはいかがでしょうか?

 

 

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