ハウルの動く城都の本当の監督は細田守だった?ジブリ都市伝説


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ジブリ作品の歴代興行収入の中でも非常に高い位置にいる「ハウルの動く城」。

おそらく劇場だけではなくロードショーでも市長をした人が多いと思います。

その作品が、今では「時をかける少女」などで有名な細田監督が制作する予定だったということをご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

 

宮崎駿監督は実は「千と千尋の神隠し」で監督の仕事を引退する予定でした。

何度が引退をほのめかした発言がありながら、なかなか引退せずに現場を取り仕切っていたため、印象に残っている人も少ないかもしれません。

しかし、実際は引退する予定であり、そのため「ハウルの動く城」は宮崎駿監督は監督を務めない予定でした。

そこでピックアップされたのが「時をかける少女」で一躍有名になり、その後も「サマーウォーズ」、「オオカミこどもの雨と雪」、「バケモノの子」などを発表した細田守監督なのです。

もちろん、「ハウルの動く城」の制作の声がかかったのはそうした代表作が生まれるもっと前のことです。

 

 

本当の監督

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細田監督は幼少の頃観た宮崎監督が手掛けた「ルパン三世 カリオストロの城」がきっかけでアニメクリエイターになるという夢を志します。

大学卒業後は宮崎監督の下で働きたいと思い、ジブリスタジオを受験するも落選。しかし、夢をあきらめることはなく、違うスタジオ会社に入社し、そこで9年間修業を積みます。若手の中で期待の有望株として名が売れるまで。

そんな細田監督の元に届いた連絡が

「映画の企画がある。やってみないか?」

というスタジオジブリからのものでした。

 

そこで与えられた作品が「ハウルの動く城」。

 

 

細田監督は

「やったー!ついに長編だー!」

と喜び、絶対作れるという自信の元スタジオジブリに乗り込みました。これまで自分がやってきた手法を駆使すれば絶対的にやれるという自信があったのですね。

 

しかし実際は、難解な原作を与えられ、どう構成すれば映画を構築できるのか全く分からず、悪戦苦闘しいきずまりました。しかし、細田監督はジブリの巨匠である高畑監督や宮崎監督に教えを乞うことはせずに一人で抱え込み、そうしてつぶれていくのです。

 

仕事の流儀

 

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結果的には、2002年4月21日。担当のプロデューサーに解雇通告を言い渡されます。その日付もはっきりと記憶しているという細田監督。

 

細田監督

 

アニメーション映画製作の監督にとって、依頼された長編作品を館整備導けないで途中降板するというのは監督としての「信頼」が失われたようなもの。

細田監督自身も、もう自分が監督を務めることは無理だろうなと覚悟をしていたそうです。

そこから母が亡くなったりと苦労が続くのですが、そのあたりはまた別の機会に記述させていただきます。

結果的に、絶望の淵の中わらをもすがる思いで引き受けることができた「時をかける少女」が地方の少ない映画館上映作品だったのにもかかわらず、口コミで広がっていき、大ヒットを生む作品になり、細田監督はアニメーション映画監督として再起を果たします。

そして今ではスタジオ地図を立ち上げ、夏といえば細田監督作品・・・というようなイメージさえも作り上げつつあるということは、この記事をご覧の皆さんもご存知のところかと思います。

細田監督の通らなければいけなかった試練だったのか・・・。

いずれにせよ、二度もスタジオジブリで絶望を味わいながらも、そのジブリが与えてくれた最初の希望を忘れずに、あきらめないで進んだ結果、憧れていたジブリとは同じ道ではありませんが、アニメーション映画作品の監督としての夢を実現させた細田監督のの人生は、我々にも希望を与えてくれます。

 

素敵すぎる・・・笑

私はジブリ作品も細田作品も大好きです。宮崎イズムはこうしたジブリ作品以外を手掛ける作品にも多大な影響を与えているのですね。

そう言った意味でも、宮崎監督の引退は惜しまれるものだったのです。しかし、その血筋を受けつぐ人たちはこうして活躍しています。これからのアニメ業界にも期待をして素敵な作品を待っていましょう!

 

 

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