ドラえもん幻の回「行かなきゃ」は藤子先生の最後のメッセージ?
ドラえもん都市伝説として長年語り継がれているのが「行かなきゃ」という回です。
ドラえもんの作者である藤子先生が亡くなった際に放送されたと言われている幻の回の真相とは?
1996年の9月23日にドラえもんの作者である藤子F不二夫先生が肝不全にて亡くなりました。
なんとその日の深夜に、放送されるはずのないドラえもんが放送されたという都市伝説が存在します。
その放送はオープニングなどが存在せずに、唐突に始まりました。そのため、「行かなきゃ」というタイトルは宣言されていないのですが、その放送内容から「行かなきゃ」という名で長年語られている話です。
この「行かなきゃ」の放送内容・・・実は3つほど語られているものがあるんです。その話をまずは紹介します。
一つ目の説
ここで終わるという説と、続きがあるという説が あります。 続きは、
というものです。
二つ目の説
三つ目の説
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この3つ目の説は「行かなきゃ」が放送された数日後の深夜に放送されたと言われています。
いずれも藤子・F・不二雄先生の追悼を表現した放送内容であるとされており、そうした目的があって放送されたのではないか・・・と言われています。
ひじょうに多岐にわたる説であり、信憑性と言う点では引くような印象がありますが、いずれも多くの目撃証言が存在しており、ドラえもんの恐怖の回と言われる「タレント」と並んで都市伝説として語られています。
しかし、この「行かなきゃ」の不可解な点としては、放送があったのが本当に藤子・F・不二雄先生が亡くなった当日の深夜に行なわれたのかと言う点や、放送中に藤子・F・不二雄先生の声でセリフが語られている点などですね。
藤子・F・不二雄先生が亡くなったというニュースは藤子・F・不二雄先生が亡くなった翌日の朝のから公に放送されました。その放送が行われる前に、放送局や製作陣などがタッグを組んでこのような追悼の放送をするというのは考えにくいと言われています。
さらに謎なのが藤子・F・不二雄先生の声。これに関してはあらかじめ自分が亡くなる際にはこのような放送をしてくれと製作陣に告げていたと考えられますよね。そうでなければ藤子・F・不二雄先生の声で流れるはずがありません。
そう考えていくと、体調の悪化が感じられるようになったころから計画されていたものだったのかもしれません。藤子・F・不二雄先生は生前からのび太は自分の学生時代がモデルであったということも公言しています。
そののび太が言った「行かなきゃ」をはじめとする様々なメッセージ。
深夜に放送と言うことで見る人は限られるかもしれませんが、今まで見てくれたファンに対してのメッセージを送りたかったという藤子・F・不二雄先生の思いが込められていたのかもしれません。
そうならば、藤子・F・不二雄先生が亡くなった当日に、どこの局のニュースよりも早く追悼の放送を流したというのもうなずけます。
放送日に関しては正確に伝えられていないため、亡くなった当日に放送されていない可能性はありますが、こうした一連の都市伝説が本当ならば、それは藤子・F・不二雄先生からの最後のメッセージだということが最も納得のいくものでしょう。
今後、製作サイドからこの幻の放送回について触れられることがあるのでしょうか。
信じるか信じないかは、あなた次第。