紅の豚は短編だった説!宮崎監督予告編に激怒の真相!
今でこそジブリ作品の中でも確固たる地位を確立している「紅の豚」ですが、制作当初は短編映画であり、長編製作が決まると宮崎監督は売れない心配で一杯だったそうな・・・。笑
今回はそのあたりについての「紅の豚」に関する都市伝説を紹介します。
制作秘話
「紅の豚」の映画作品公開は1992年7月です。
その制作の背景には1989年公開の「魔女の宅急便」があります。
実はジブリと言えば「となりのトトロ」という印象が非常に強いかもしれませんが、興行収入的には「魔女の宅急便」の方がヒットした作品なのです。
そのため、ジブリへの期待が高まっていた時期でもあるといえます。
こうして「紅の豚」の制作が決定したのです。この時は、予算は2億円、30分のショートムービーとして計画された作品でした。
しかし、我々の知る「紅の豚」は長編ムービーですよね。
実は、「紅の豚」は2度の壁により短編から長編へと変化していくのでうす。
一つ目の壁
まず一つ目の壁は、「紅の豚」の前作として製作が行われていた高畑監督による「おもひでぽろぽろ」の制作が延びに延び、「紅の豚」」の制作が中断したのです。
「おもひでぽろぽろ」は高畑監督としては2作品目になり、1作目「火垂るの墓」で未完成のものを映画上映してしまった自責の念から、監督再起をかけた大事な作品でした。
そのため、制作に熱が入ったのでしょうね。「おもひでぽろぽろ」。
「紅の豚」の制作が再開されたのは1年後のことでした。
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二つ目の壁
製作再開が延びてしまったために、世界の情勢は変化し、ユーゴスラビア内戦が始まります。
それによって「紅の豚」は舞台がユーゴスラビア近郊のため、どのような作品すべきか非常に悩まされることになるのですね。
宮崎監督はインタビューにてその当時のことを以下のように語っています。
こうして制作当初は「単純明快な漫画映画」という感じでスタートしたのにもかかわらず、カミサマのイタズラか、そういう運命だったのか、作品のシナリオは複雑な方向へシフトしていき、30分作品から45分作品、60分作品、ついには90分でもおさまらない作品へと変貌していくのです。
ついに、鈴木プロデューサーはショート作品ではなく長編作品として一般の映画作品と同様に劇場公開することを決意します。
宮崎監督は劇場公開が決まった時のことを以下のように語っています。
宮崎監督激怒の真相
そして、いざ公開に当たり制作発表記者会見が行われることになったのですが、その際に流す「予告編」の映像ができていませんでした。
しかし、宮崎監督はその映像に着手する暇がなく、仕方なしに鈴木プロデューサーが映像を編集して制作することに。
そこで鈴木プロデューサーが制作したのがこうした動画になるわけです。我々にもお馴染みのこの映像。
しかし、この映像が宮崎監督の逆鱗に触れることになります。
というのも、予告編の映像は「戦闘シーン」を大きくピックアップして編集されていました。確かに戦争が絡み、飛行機で結党するようなシーンは描かれているのですが、宮崎監督がこの作品で伝えたいことは全くそうしたシーンたちではなかったのです。
この作品のキャッチフレーズにもなっている「かっこいい」。
後悔や恋愛や失望など、様々な思いを持ちながらしぶく男として生きるポルコの姿にそれはあるのかもしれません。
制作発表記者で初めてその映像を見た宮崎監督は
とコメントしてしまいます。
しかしながら、そんな宮崎監督の思いとは裏腹に作品自体は当時邦画としては最大規模の206館で全国公開され、観客動員数305万人、興行収入54億円という大ヒットを記録。
予告編がマッチしたのか、予告編が魅力的だったのか、作品が素晴らしければ予告編で伝えたいことが違っても関係がないのか・・・。
結果的に「魔女の宅急便」を抜き去り、当時の日本アニメーション映画史上の歴代トップに輝いたのです。