おもひでぽろぽろ都市伝説!ラストの真相!高畑監督の再起をかけた作品?


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「おもひでぽろぽろ」都市伝説!

この作品はジブリ作品の中でも、比較的地味目な作品として現代に定着していますが、歳を重ねるごとに味わい深い作品となっています。

高畑監督が再起をかけて制作した作品としても知られていますね。

 

 

 

 

 

「おもひでぽろぽろ」は原作が岡本螢・刀根夕子著の作品で「週刊明星」で1987年3月19日号から同年9月10日号にかけて連載された作品です。

ジブリ制作のアニメ作品は1991年に公開されました。

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東京で生まれ育った主人公であるタエ子は27歳。特にやりたいこともなく、仕事も中途半端。そんなタエ子が山形に住む義父の実家へ遊びに行くことになり、そこで思い出の中の自分がよく出てくるようになり、言わば「自分探し」のような旅へと変化していきます。

そこで恋愛まがいのこともありつつ、東京に戻らなければいけなくなるのですが、最終的にタエ子はどのような決断を下すのか・・・。

 

と言うストーリーです。1960年代から80年代あたりを描いた作品で、劇中にちらっと流れる「ひょっこりひょうたん島」何かの再現や、風景の再現などは監督が非常にこだわった部分のようです。

 

 

高畑監督が再起をかけた作品?

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そこまで制作にこだわった作品ではあるのですが、実はこの作品はジブリと言えば宮崎監督の印象が強い中、高畑監督が制作をした作品です。

高畑監督は、「火垂るの墓」、「平成狸合戦ぽんぽこ」、「かぐや姫の物語」などを手掛けた監督です。

 

この「おもひでぽろぽろ」は、高畑監督作品としては「火垂るの墓」に次ぐ2作目となるのですが、実は2作目にしてすでに背水の陣で臨んでいたという都市伝説があります。

これは、初作の「火垂るの墓」が公開に間に合わず、清太が野菜泥棒をして捕まる場面などが色の付かない白味・線撮りの状態で上映されたそうです。しかし、作品自体が重たいテーマを扱っていることもあり、視聴者には演出と捉えられ、大きな話題にはならなかったそうですが、監督としては納得がいかないし、未完成の作品を上映させるというのは一番監督が許せないですよね。

そのため、高畑監督はアニメ演出家を廃業するような決意まで持っていたそうです。

 

このストーリーに関してはこちらの記事で詳細を語っています。

そんな裏事情があった「火垂るの墓」から3年後に公開された「おもひでぽろぽろ」。ジブリ制作側としても非常にアニメ化が難解な作品であったり、人の心情を非常に繊細に描いた作品であったために、高畑監督しか監督は務まらないだろう・・・ということで監督に抜擢。

おそらく、非常に長い説得のもと監督に起用されるながれだったのでしょう。そのため、この作品「おもひでぽろぽろ」は高畑監督にとっては監督業再起をかけた作品であったということなのです。

 

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あのラストの思惑は?

「おもひでぽろぽろ」のラストと言うのは、東京に帰らなければいけない前日におばあさんがタエ子に「トシオのお嫁さんになってくれないか?」と持ちかけ、タエ子は困惑してしまい、結局そのまま別れの日を迎えてしまいます。

しかし、東京に戻る列車に乗ってしまったタエ子でしたが、帰りの同中、急に思い立ったように田舎に電話かけ、そのまま引き返していきます。

そして田舎に戻ったタエ子をトシオが出迎えてくれ、二人は手をつないで歩いていきます。

そんな二人をタエ子の思い出の中にいる小学5年生の頃の幼いタエ子が祝福して終わるというラストです。

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このラスト、実は高畑監督の最初の構想では、タエ子が電車に乗って帰っていくシーン・・・つまり田舎には引き返さずに、普通の日常へと戻っていくという描写で終わっていたそうです。

「その後」は視聴者の想像に完全にお任せするということですね。

しかし鈴木敏夫プロデューサーは「もう少しサービスが欲しい」と言う意見であったために、変更をして結果あのようなシーンで終わらせたそうです。

そのため、「その後」は高畑監督の最初の構想である視聴者の想像に任せる形式であることには変わりなく、鈴木プロデューサーの「もう少しサービス」を追加しただけのもの。

あのシーンは「嫁に行く」でも「農業に投ずる決意をした」でもなくて、「一人の男性としてトシオともう1日でも2日でも付き合いたいから」という理由でタエ子は田舎に戻ったということなのです。

いろんな議論がなされている「おもひでぽろぽろ」の「その後」と「ラスト」ですが、実はそこは完全に視聴者にゆだねられたものだったのです。笑

 

 

放送回数はワースト1位!?

また、「火垂るの墓」が放送に制限がかかり、ジブリ作品の中では極めて放送回数が少ないとか言われていますが、公開時期などを考慮した上でのワーストの放送回数を誇っているのはこの「おもひでぽろぽろ」であるかと思います。

 

「おもひでぽろぽろ」の公開は1991年。放送回数は7回です。

放送日 視聴率
1992年 18.3%
1994年 16.2%
1999年 15.4%
2001年 13.3%
2004年 14.2%
2007年 8.5%
2013年 9.3%

 

その点、「平成狸合戦ぽんぽこ」は公開が1994年であり、放送回数7回。

「火垂るの墓」は公開が1988年放であり送回数11回。

 

 

ジブリ最大の「挑戦作」だった?

また、「おもひでぽろぽろ」はジブリ最大の「挑戦作」であったことも鈴木プロデューサーのインタビューにて語られていました。

何が挑戦だったのか・・・?

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こうしたインタビューを見ると実にあの人たちらしいなと感じます。笑

確かに、作品としては盛り上がりに欠けますから非常に難しい部分はありますよね。それでもやはり制作の細部にこだわりまくる高畑監督の気質がよく表れた作品。大人になって見返したい作品ですね。

 

以上で今回の記事を終了します。

信じるか信じないかは、あなた次第。

 

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