続々発見!吸血鬼の墓!そこからわかる吸血鬼の歴史とは?


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墓

 

吸血鬼の墓が存在すると聞くと、まるで映画のような感覚になってしまいますが現実に存在すると言われています。

そこには、吸血鬼の墓であるという確かな証拠も・・・。

 

 

 

 

 

 

ブルガリア

2014年にブルガリア南部の中世都市遺跡ペルペリコンで考古学者ニコライ・オフチャロフ教授が吸血の墓と思われる場所を掘り起こし、吸血が埋葬された証拠を発見しました。

その遺骨は13世紀に亡くなったと40~50代の男性と見られ、胸には食いが撃ち込まれていました(画像赤枠)。そして左足首は切断され死体の横に置かれていました。

 

遺骨

 

胸に杭を打つことで、不老不死である吸血鬼が再び生き返ってこないようにする手法は、あまりにも有名ですよね。

そして、足首を切断する方法。これは吸血鬼は不老不死・生き返るとして描かれることは多いですが、切断した体の一部を再生したりくっ付けることは出来ないために行なわれた方法だと考えられます。

 

 

この場所では紀元前5000年ほど前から人類が生活していたと考えられいます。

ギリシャの神ディオニシウスを祀った寺院や要塞などがある中、吸血鬼の墓も共に存在しているのです。

その一つを発掘したのが上記の画像です。

この遺体は13世紀程度の時代のものと考えられているのは上述の通りですが、中世では自殺者や犯罪者によって惨殺された人や事故死などによって亡くなってしまった人に対してこのような方法で埋葬したと考えられています。

そして老衰などではなく変わった死に方によって亡くなった場合は、不老不死の人間としてよみがえると考えられていたのです。

そこで胸に杭を打ち、足を切断して埋められました。

 

ブルガリアではこの発見以前にも2012年と2013年に、ソゾポルという町で吸血鬼の墓と二体の吸血鬼と思われる遺体が発見されています。

 

 

ポーランド

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2013年にはポーランドの南部にあるグリウィツェという町で、

首から上が切断され、首が両膝か両腕の間に置かれるかたちで埋葬されている
という手法がとられた遺体を発見していまます。これは吸血の復活を防ぐ方法の一種であるようで、そのため吸血鬼として恐れられたものの遺体であるのではないかと言われているのです。

発見された遺体は15世紀~16世紀の間のものと見られ、時代的にも「ヴァンパイア」の伝説が恐れられていた時代であり、そのためこうした手法で埋葬されたのではないかと考えられています。

 

 

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こうした吸血が復活しないような手法で埋葬されている遺体と言うのは、今まで100体以上が発見されており、その多くは普通の人間だった可能性は高いですが、伝説を信じた人々によって施されたのかもしれません。

 

現代にも残る「ドラキュラ」は15世紀に存在したツェペシュ公からきている影響が大きいと考えられています。

そして、現在「ドラキュラ」や「吸血鬼」と聞いて想像するような伯爵風の紳士はその後、ツェペシュ公などをモチーフによって描かれた小説「ドラキュラ伯爵」によって固定化されていったと考えられます。

 

今では、

  • 血を吸う
  • ニンニクが嫌い
  • 太陽を避ける

などの定番化した特徴がありますが、こうした遺体が埋葬された当初は、今描かれている「吸血鬼」の像とはおそらく違ったと考えるのが自然です。

 

ツェペシュ公が産まれる100年以上も前の「吸血鬼」。何がどうやって中性以前の「吸血鬼」が誕生したのか・・・。

 

胸に杭がさしてあるため、蘇ることを阻止しようとしていたのは想像できます。

 

1000年近く前から語り継がれるその伝説は形を変えながら今も地域的に見ると非常に根強く残っている場所もあります。その一つがフィリピン。

 

吸血鬼に関しては、現存する奇病がモチーフなのではないかとも考えられています。

 

こうした奇病が、全く対処法がわからなかった過去において、非常に恐れられ、何かの伝説とリンクして「蘇る」と言われるようになったのかもしれません。

 

タイムマシンがあれば是非その伝説の継承の流れを見てみたいものですが・・・。

信じるか信じないかは、あなた次第。

 

 

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