縄文人は海洋民族?高度な航海技術を保持!歴史の都市伝説!
我々の一般常識の範囲内での縄文時代とは一体どのようなものでしょうか?
歴史の教科書にて一瞬で通り過ぎる時代ですが、何とその生活様式はどうやら違ったようだ・・・というのが最近の研究結果によって分かってきたのです。
縄文時代の間違った認識
縄文時代は今から約1万6000年前から約3000年前に日本で起こった縄文文化を指す時代の事です。
一般的に広く知られている縄文人たちの生活と言えば、食生活は狩猟をし、竪穴式住居などに住んでいたという、いわゆる原始人に近いようなイメージでしょう。
縄文人は狩猟採集民族で集落などに定住する事は無く、家族単位の集団で狩の獲物を求めて移動を行いひっそりと生活していた民族。
これでは、あまり興味を抱かないのも当然かもしれません。
テストには縄文土器の特徴と竪穴式住居くらい理解しておき、あとは時代の年代、稲作は弥生時代からということを覚えておけば、万事問題はなかったでしょう。
しかし、近年では三内丸山遺跡から巨大なヒスイの珠に穴が開いたものが多数見つかっています。
ヒスイというのは、非常に硬い鉱物で、加工するには高い技術が必要と言われています。
そして、栗が人工的に栽培していたことがわかり、稲の栽培を示す籾殻やプラントオパールなどが見つかりだしています。
稲の栽培をしていたという事実だけでも、今までの常識とは一線を画したものですが、縄文時代には水を必要としない稲作が行われていたようです。
現代でも、できるだけ水を張らないようにして栽培する方法が行われていますが、そうした方法が縄文時代につながっているというのは何かロマンがありますね。
バヌアツ共和国で出土した縄文土器
ここまででも、縄文時代に抱く我々のイメージががらりと変わったと思います。だって「稲作は弥生から」って覚えたでしょ?笑
さらに驚きの話が、縄文人が海に出ていたという話です。自分たちの縄張りの中で狩りを行って生活をしていたという印象が強いですが、海に出てそこで食料の調達を行い、さらには異国との交流さえもあったと考えられています。
この仮説はフランスの考古学チームが提唱しているものです。
根拠としては、バヌアツ共和国の古代土器の中で新たに発掘されたものと、縄文土器の特徴が一致したためです。
そのため、その時代に交流があったのではないかと考えられているのです。
バヌアツ共和国は南太平洋にある小さな国で日本からは約5000kmも離れています。
さらに、バヌアツで発掘された縄文土器に酷似した土器にはクロパーライトという鉱物が含まれており、これはバヌアツにはない鉱物であるため、あきらかにその土地を出た可能性が高いのです。
バヌアツは日本までやってきて、そこで航海の技術を縄文人に教えてくれたのでしょうか・・・。
ちなみに縄文人が一般的に刃物として使用していたと言われる黒曜石も韓国の遺跡から発掘されています。
こうした点からも、何らかの方法で文化の交流は行われていたものと推察されます。
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海洋民族縄文人
上記のような発見により、縄文人が海を渡った可能性が高いことがわかりました。
しかし、縄文人が約5000キロも離れた地まで海を渡れたのでしょうか?
現在では縄文時代に使用されたと考えられる丸木舟でも、アウトリガーと呼ばれるフロートを付けたり、双胴船にすることによって、十分に長期間の航海に耐える事が証明されています。
さらに、縄文人が当時から優れた航海技術を持っていたと考えられる証拠が三内丸山遺跡から見つかっている魚の骨です。
その魚の骨はマグロやタラなどの回遊魚であり、広い領域で魚を取っていた証拠になっています。
マグロやタラってすごいですよね。汗
ガチ漁業。笑
5000~6000年前の平均気温は今日よりかなり高く、海もはるかに航海しやすかったと見られています。
そして、当時の歴史を見てみると、九州地方では凄まじい規模の火山爆発が起こっています。
この火山噴火により、当時の民族は航海をせざるを得ない状況に陥ったのではないかと考えられます。本州の空は火山灰が舞い、数百年の間人が容易に暮らすことが出来ない状況が続いたと推察されています。
彼らの直系の子孫たるアイヌが、船で日本海に沿って交易していました。
世界的に見て、日本のように生の魚を食す文化は珍しいと言われています。
では、なぜ、日本人はそのような食文化が根付いているのでしょうか。
それは日本人の祖先は海洋民族に他ならないからではないでしょうか。
我々の偉大なる先祖は、すでに海を生活の糧にしていたのでしょうか。
信じるか信じないかはあなた次第。